2011年3月11日。
LAでアルバムレコーディング中の
福原美穂の耳に、東日本大震災の一報が届く。
ホテルへ戻り、テレビをつけるとそこには現実とは思えない光景がただただ繰り返し放送されていた。
すぐさま、帰国。
空港にて音楽プロデューサー
KENからの着信。
「俺らにできること、今、この想いのまま曲をつくろう。」
KENは同じく、親しい音楽仲間である
JAY’EDにも声をかけていた。
帰国後、すぐに3人は集まり、2SOUL STUDIOにて、曲作りが開始される。
3人の音楽家によって、メロディが紡がれる。ラララで仮歌が入れられる。
その後、福原は葛藤する。“何を歌えばいいか。”“何が、歌えるのか。”
・・・当時の福原には、答えは出せなかった。
そのまま、この曲は、眠る事になる。
2011年8月11日。
福原はデビュー当時から一緒に仕事をしていた映像プロデューサー・湯川篤毅に誘われ、彼が関わるプロジェクトLIGHT UP NIPPONのライブイベントに参加する事となった。
そして、翌年8月11日もまた。
LIGHT UP NIPPON、気仙沼の会場に福原は居た。
花火を見上げた。町の人の汗と、涙と、笑顔を、たくさん見た。
誰もが言葉もなく、空に咲く花火を見上げた。
ただそこにあるのは、大きく海の上に鳴り響く、花火の音色。
はしゃぐ子どもたちの、笑顔。
「このイベントは、来年も再来年も、この先ずっと、続けて欲しい。」、福原はそう願った。
すぐさま、眠っていたこの曲を引っ張りだした。
・・・メッセージが、決まった。
JAY’EDとKENと再びスタジオに入り、歌が、命が、想いが、吹き込まれた。
2012年10月20日。demo versionが、完成した。
その曲が、LIGHT UP NIPPONチームに届く。
KEN、福原、JAY’EDからの、ギフト。
この曲は、笑顔の種となり、多くの人の想い願いの栄養を得て、大切に育てられていく事となる。
2013年3月11日。
3人は、気仙沼の地で、穏やかにゆれる海に花を手向けた。
そして、子ども達と共に、この曲を歌った。
気仙沼の子どもたちの声を預かり、東北キッズレコーディングキャラバンが始まった。
車1台にエンジニアBOOと、KENとスタッフと、機材とを積み込み。
SONG for LIGHT UP NIPPONプロジェクトの、はじまりである。

2013年4月14日。
福島県相馬市。
2013年4月29日、30日。
岩手県大船渡市、山田町、大槌町、野田村、宮古市、釜石市。
2013年5月5日、6日。
福島県いわき市、宮城県多賀城市。
2013年6月2日、3日。
岩手県陸前高田市、福島県広野町
東北の子ども達の声が吹き込まれ、この曲は生かされ、
そして、東北の子どもたちの未来に想いを馳せるたくさんの著名人・音楽仲間の歌声が注がれ、完成を迎える。
LIGHT UP NIPPONというプロジェクトを通じて、つながった想いがひとつの形となって。
音楽にできる事。
音楽家に、できる事。
≪伝える事≫と、≪届ける事≫。
SONG for LIGHT UP NIPPONの最大のミッションは、この楽曲を通じ、日本全国すみずみまで、LIGHT UP NIPPONの存在を伝える事。心に刻む事。
そして、この楽曲の収益は、8月11日に打ち上がる花火の資金になります。
「今年も、来年も、東北の子どもたちに、たくさんの花火を届けたい。」
CDや配信を通じて届けられる東北の子ども達の声が、今度は、私たちの心を温めるギフトとなり、たくさんの人の心を、勇気付ける事でしょう。
“東北に、子どもたちの笑顔を照らす花火を咲かせよう。”
SONG for LIGHT UP NIPPON。